<Muzeum Początków Państwa Polskiego w Gnieźnie>
ポズナンから少し離れたグニエズノという町に
「ポーランド国家起源博物館」というものがあります。
ムゼウム ポチョントクフ パンストファ ポルスキエゴ ヴ グニエズニエ
と読みます。
日本で例えるならば邪馬台国博物館🧐?
ポーランドという国の伝説に近いような始まりの博物館です。
このグニエズノという町がまさにこれで有名な場所なので
観光地としても現地の方やドイツからも観光客が来たりもするそうです。
私もとても期待して行ったのですが、まずチェックするGooglemapで口コミ。
見てみたらこれがかなりの賛否両論。
書いてあることを読むと極端な人の否というよりは、どれも納得できる内容だったので
そんな感じなんだね、と期待はそこまでせずに行ったのですが
結論から先にいうと、確かに少し残念ではありました😅
理由としては、本来ならば国の始まりなので多くの人も期待をして
大人も学べる場所だと思って行ったと思うのですが
口コミにある通り、まず全てが子供向けすぎるということ。
パネルだけの展示が多いと言うこと。
そして展示物がレプリカばかりなこと。
レプリカであることがそんなに悪いのか?と行く前は気にしていなかったのですが
グニエズノに行くだけでもすぐ近くの別の博物館にはそれらの本物があることに
気付くくらいなぜここに本物を集めないの?と疑問が残りました。
この博物館はこの場所の重要さ、偉大さというよりは
ポーランドの子供向けにポーランドのなりたちを説明する
校外学習用に特化している作りだと思いました。
と言うことで、実際どんなところだったのかを
写真を交えて紹介します。
↓博物館の基本情報はこちらからどうぞ↓
<基本情報>グニエズノ・ポーランド国家起源博物館
まず博物館への往路は旧市街から歩いてスタートしました。
グニエズノ大聖堂の裏にはイェロネク湖がありその反対側にこの博物館はあります。
なので湖沿いに散歩がてら歩いていくと約15分ほどでつきました。
イェロネク湖沿いを歩いているとあらわれたのが槍を持ったかっこいい銅像。
この人物がポーランドの国を作った3兄弟の長男レフさんでした。

レフさんを過ぎて右上に坂を上がっていくと博物館の敷地にでます。

だだっ広い。
ただこの感じ、今まで行ったいろんな郊外の博物館からの経験上
期待はできないのがわかります。なんだろう、土地はあるけども管理がそこまでされていない、
大事にされていないといった雰囲気😅
実はこの博物館、隣が普通の高校。
だとしたら生徒も…と、これは日本の教育であってこちらでは給食の配膳や掃除を生徒がやるなんて
概念がありませんので公の敷地の清掃なんてのもありません😞(これが外国観光で如実に表れますね)
<掃除は掃除仕事の人がやる>という認識なので自らが他の人のゴミを掃除するなんて
考えにすら及ばず、なんなら人の仕事を奪うなんてことも言い出すのです。
とはいえ、ポーランドは周りの国と比べたら清掃の仕事が細かに行われるので
公共スペースも綺麗な方です😀


博物館の入り口が高校の入り口と共通になっていて、中は繋がっています。

入ってみたら、どこから来た生徒かわかりませんが子供がたくさん。
グループと被ってしまった😇

まずは中心にあった売店でチケットを買いました。
ここは珍しくオンライン予約ができず、現地で買うのみです。
カード払い(スマホでピッも)OKです。

お土産の他に、飲み物やお菓子も生徒のために色々ありました。
+++++話それるのですが+++++++++++++++
これを読んでる皆さんは学校でお菓子って売ってましたか?
私は小中高全部県立なのですが、高校で初めて学校でお昼にパンが
売っていたことにびっくりしました。お菓子はありません。
外に自動販売機もあってジュースは買えた気がしますがお菓子はありませんでした。
学校で食べ物や飲み物が購入できると言うことに非日常感があります😂
ポーランドは小学校から給食の時間も、配膳を一緒にやることはないので、
お菓子などが食べ物が売っている売店が公立でも学校内にあります。
(売っているのは学校は関係ないパートの人が来るそうです)
食堂はあるので、食べたい人はそこへ行って毎回子供がお金を払います。
各授業時間の間が10分とか15分だったかな?
日本より授業の合間が少し長くてその間に廊下にベンチや座るところがあるので
その辺で食べたい時に食べる。お菓子でもなんでも、という感じなのです。
私が聞いた限りの数人の現在小学生〜今大学生の小学校時代のお話からですが
それでも日本とやっぱり色々と全然違いますよね。
しかも授業内容も全然違うし、それが学校によっても違うのも驚き👀
私は職場ですらお菓子を食べながら仕事をすることは禁止されていたので
(ポーランド来る前まで働いていた旅行会社も一口チョコですら忍ばせることは禁止でした🥲)
しかし大手企業で働く友人たちは普通におやつを食べながらぼりぼり音をさせながらでも
仕事をしているという話を聞いて、「えぇ!?仕事中に!?」と信じられませんでした😂
<学校や職場でお菓子が買える!?しかも最中に食べる!?>
個人的な経験からいまだにこうして学校内に市販のお菓子が買えるということを見るたびに
いいの?ありなの!?と驚いてしまうのです😂
私がたまたま変に厳しいところにあたっていたのでしょうか🥲
学校で、仕事中で、お菓子がつまめるなんて羨ましい😇
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
子供達グループがいたので最初は見れるところだけ📷
最初の部屋には当時の?木が積まれたすごいものがありました。


左:こうした昔の書籍ってかっこいい🥰
右:指輪はレプリカですが12世紀のデザイン。のちにこれを撮っておいてよかったと
思うことがありました😃


左:昔々の手紙。封が大きい。とっても重要そう。
右:昔のコインはすごく小さくてかわいい🥰

最初のいくつかの展示室はこのような広い部屋の3方に展示物がある形式。
そしてここにあったのは全国から集められた古いもので、
特別にこのグニエズノのポーランド起源博物館というよりは
普通の博物館と変わらないかも?と気づきました👀

10世紀ー11世紀のイースターエッグ😃こんな時からイースターが!🥚🐇🐏
HPを見ていたらこちらの詳細を見つけました。

公式HPにて展示物が紹介されていました。
(画像の方をクリックするとこの卵のページにリンクしています)
粘土製のイースターエッグ。
黄色と茶色の帯状でアーチ状の模様が施されている。また、この作品は釉薬で覆われている。
現地で見てからの方が親近感というのか、HPで画像のみを見るよりも
大きさも立体感もわかるので後から見返すのもいいものですね😁

隣は骨でできた何かわからないけど装飾がすごいもの。
調べたところ、要は遺骨入れかな?

Relikwiarz św. Korduli (kopia), 10-11世紀
聖コルドゥラ(キリスト教の殉教者であり、処女であり、カトリック教会の聖人)の聖遺物が収められていた、行方不明となった聖遺物箱の複製。原本は、いわゆる「マンメン」と呼ばれるスカンジナビア様式で制作され、おそらく南スウェーデンの職人によって作られたものと考えられています。この聖遺物箱は、ヘラジカの角で作られた22枚の豪華に装飾された板で構成されていました。
カミエンポモルスキ(地名)にて発掘

廊下や階段にこのようなパネルがあって、漫画風にもしてあってきっと子供向けなんだとは思いますが文字が小さくて子供はこれを読むのだろうか?でも大人向けという感じではないなと🤨
最初のいくつかの部屋が外観からは想像できないくらいに綺麗だったので新しいのかなと期待感がありました。
「もったいない」という口コミの多さの理由がこの辺からわかってきました😂

別の階段を登ったところには現代アートで今時の若い子が描いたような?漫画に近いような
タッチのイラストのスラブ神話の神などが飾ってありました。
スラブ神話をご存知の方はいるでしょうか?😊
実は私は最初絵だけではわからなかったのですが、名前を見て気づくことができました😊
スラブ神話では日本だとよくキャラクターになるのは
<雷神ペルン>または、<チェルノボーグ>がおそらく有名ではないでしょうか😁
それらがいました😁

家具メーカーさんの協賛のいいソファもあってとっても静かでちょっとだけ座りました😊
一つだけ美術館のような部屋がありました。
「ピアスト朝の絵画史」を集めたお部屋。
ピャストと書かれることが多いですがポーランド語ではPiastと書くのでそのままピアストの方が
合っていると思います。口語で話していると早く聞こえるのでピャストになるのかもしれませんね。
ピアストはポーランドの歴史に関わると「ピアスト朝」としてよく聞く言葉なのですが、
要は<徳川幕府>みたいなものです。
江戸のような時代の名前ではなく、
ピアスト家があって、その一族が代々国を治めていて、というのがピアスト朝です。
天皇とか政治のシステムの違いで徳川朝とか、ピアスト幕府とか言えないだけで
要は一家代々で治めていたところという点では同じなのでそんな感じだそうです😊

すごい絵だなと思ったこちらの絵。説明書きを見ても意味がわからなかったので調べました。
『王女の持参金(Wiano królewny)』1875年ヴォイチェフ・ゲルソンWojciech Gerson
-1325年の春のことである。ロキエトク王の婚約者が、ポーランドに到着した。
アルドナ・ゲディミンフナは、おそらくカジミェシュ王子と同年代であり、自身の騎士たちからなる随行団に囲まれているが、この絵には何よりもまず、男女を問わず大勢の人々が描かれている。
これこそが、題名にもある、生き生きとした「王妃の持参金」である。
リトアニア大公ゲディミナス(…)は、双方が合意した条件のもとで、求められた姻戚関係を結ぶことを許可し、 そして、自身の娘を王の使節団に託した後、あらゆる身分、性別、年齢のポーランド人捕虜全員を解放し、彼らを健康で無傷のまま、故国であるポーランドへと送り戻した……婚約者は、奴隷たちの解放という見返りとして、クラクフへと到着した……
現代風に言えば、アルドナ王女がカジミェシュ王子との結婚に持参した「持参金」、すなわち嫁入り道具とは、かつて両国間で繰り広げられた戦いでリトアニア人に捕らえられ、リトアニアの奴隷となっていたポーランド人捕虜たちであった。
その数は、伝えられるところによれば実に2万4千人にのぼったという。
この日、ポーランド王国には多くの労働力が加わり、同時に国家の軍事力も強化された。
とはいえ、当時の過酷な捕虜生活を経て、彼らの多くは労働にも戦闘にも適さない状態だったに違いない。
絵画の右側には、迎えに出た王子が婚約者を出迎える様子が描かれている。
しかし、作品の大部分を占めているのは、解放された捕虜たちであり、彼らはひざまずいて故郷の土に口づけをしたり、家族と再会を喜んだりしている。彼らこそが、この絵画の主役である。
十字架の下にいる男性は、かつてキリスト教の信仰のために戦った人々、そしてリトアニアの侵略から祖国を守るために戦ったすべての人々を体現しているかのようだ。婚約者たちは、画家が彼らを作品の「隅」に配置しているため、いわばこの絵の中ではそれほど重要な存在ではない。
傑出した風景画家であるゲルソンは、この機会を活かし、数十人の人物に加え、城壁が見える風景の一部もキャンバスに描き込んだ。
これはオイツォフの城と思われる。しかし、この城が建設されたのはずっと後のことであり、カジミェシュ3世大帝の治世下のことである。カジミエシュ3世は<木造のポーランドを受け継ぎ、石造りのポーランドを残した>と評される人物だ。当時、ポーランドには石造りの要塞は存在しなかった。画家は、アルドナの頭に王冠を飾ったのと同様に、ここでも未来を先取りしているのである。何しろ、王女の戴冠式は数年後、彼女がポーランドの女王アンナとなった時に執り行われたのである。–historia.dorzeczy.plより引用
この絵が描かれた19世紀後半(1875年)は、ポーランドがロシア・プロイセン・オーストリアに分割統治され、国家として消滅していた暗黒の時代でした。
ゲルソンはこの歴史的エピソードを通じて、当時のポーランド人たちに「かつて我が国には、他国からこれほどまでに尊ばれ、同胞の解放を勝ち取った輝かしい歴史(ピアスト朝の栄光)があった」ということを思い出させ、民族の誇りと、いつか再び祖国が解放されるという希望を呼び起こそうとしたのです。
この画家ヴォイチェフ・ゲルソンさんはクラクフに銅像があるヤン・マテイコさんと並ぶほどの偉大な絵を残し、主にこうした歴史に関する絵を多く残した方だそうです。
説明が長くなってしまいましたが、
こうして絵の背景や意味を知って改めて見ると、見るところがたくさんあっていろんな見方が楽しめます👀✨
この部屋にはもうひとつ気になった大きな絵がありました。

左:ヴィトルト・プルシュコフスキ(Witold Pruszkowski)
『ピアストへの王冠の授与(Ofiarowanie korony Piastowi)』(1872–1875年頃、通称『ピアスト』)
左の絵なのですが、このピアストへの王冠の授与の絵。
もらっている人が明らかにボロボロな服装の村人で、宝物を与えようとしている人はロイヤルないい服装。
「なんでこんな場所に?この村人はいきなりどういうこと?」と謎状態の絵でした。
そこでこれも調べたのですが、そもそもこのピアストの初代というのか、
誰がピアスト一家の始まりなのかというところが
これがもはや伝説級の話で(卑弥呼と聖徳天皇が同じ家系みたいな?)
調べていてこれは調べ始めたら止まらなくなりました😆
だからポーランドにいると色んなところで「ピアスト」という言葉が出てくるのかと理由がわかりました。
ここで、まず
よくポーランドの子供に言い伝えられるベーシックなポーランドの起源の伝説の内容を知っていただきたく
ここに簡潔にまとめました。(諸説あり)
-むかしむかし(9世紀頃)、グニェズノの地にはポピエルという邪悪で欲深い公(支配者)がいました。
ある日、ポピエル公の息子のために盛大な儀式が行われていましたが、そこに「二人の謎の旅人」がやってきます。しかし、冷酷なポピエル公は彼らを門前払いし、追い出してしまいました。
旅人たちがトボトボと歩いていると、街外れに住む「車作りのピアスト(Piast Kołodziej)」と妻ジェピハの貧しい家に行き着きます。ちょうどその日は、彼らの息子(ツェモミウ)の7歳の成人儀礼(髪切りの儀式:Postrzyżyny)の日でした。ピアストは貧しいながらも、旅人たちを「どうぞどうぞ」と温かく家に迎え入れ、なけなしの豚肉と蜜酒でもてなしました。
すると、奇跡が起きます。 旅人たちが家を祝福すると、いくら食べても豚肉が減らず、いくら飲んでも蜜酒が樽から溢れ出してきたのです。さらに、生まれつき目が見えなかったピアストの息子の目が、この儀式の最中にパッと開いて見えるようになりました。実はこの旅人たちは「天からの使い(天使)」でした。
その後、悪政を働いていたポピエル公は、彼を恨む無数の「ネズミ」に喰われて自滅します(これも有名な『ネズミの塔』の伝説というのがあります)。
人々は、天から祝福され、人徳も高いピアストを新しい指導者として選び、ここから輝かしい「ピアスト朝」が始まった……というお話です。
このお話は、ただの昔話ではなく、当時のポーランド人にとって非常に論理的で重要な意味を持っていました。
「我が国の王(ピアスト家)は、ポピエルのような悪党の血筋ではなく、天(神様)から直接祝福され、貧しい民を大切にする素晴らしい先祖から始まったのだ」という、統治の正当性を証明するための神話であり、また見ず知らずの旅人を親切に迎えるというスラヴ伝統の「もてなしの精神」の大切さを伝える教訓でもあります。
ということでこの大きな絵の『ピアストへの王冠の授与』は実際にこういうことがあったのではなく、
「村のおじさん(質朴なピアスト)が、天の使いから『お前が次の王になるのだ』と、未来の王冠(運命)を授けられている瞬間」をドラマチックに描いた絵ということだそうです。
ほぇー😮な絵でした。調べるとやはり面白いですね😁
伝説の「ネズミの塔」についてはここでは長くなりすぎるので別途こちらに書きました😃
ポーランドにも卑弥呼、とは違いますがそんな国の初めの伝説話があることを知らなかったので
15年目にして新たなポーランド知識をゲットしました😁
ちなみに右側にあった絵はユゼフ・ペシュカ(Józef Peszka)の『髪切りの儀式で視力を取り戻すミェシュコ1世(Mieczysław I podczas świętego obrzędu postrzyżyn odzyskuje wzrok)』(1810年頃、通称:『ミェシュコ1世の髪切りの儀式』)というものだそうで、こちらも調べれば面白いと思うのですが、このページが長くなりすぎるので割愛します😂
髪を切って視力を取り戻すってどういうことなんだい!?と気になるタイトルではありますね🤭
2へ続く